「シュガーポット」 

 

                                                                                  

 

青春は甘酸っぱいものなんかじゃない。

私が高校一年の時に親が建てた家は

親の努力や我慢や汗や涙でできていて、

ぴかぴかの新築なのに

最初から親がしみついていた。

家が建った時、

父親は家にいなかった。

一人で北九州の小倉に住み、働いていた。

単身赴任という言葉をその時に知った。

だから家を建てられたのだ。

何十年もかけて借りた金を返す約束で。

 

私には六畳の部屋が与えられた。

その空間で親から離れることばかりを考えていた。

まずは親に内緒のアルバイトをした。

生駒の山の上にあるドライブイン。

情報誌で探して一人で面接に行った。

初めて会う人の車に、知らない人たちと乗り合わせて。

挨拶することも知らず、怪訝な視線のなかで黙って座っていた。

最初の仕事はテーブルごとに置かれたシュガーポットに

砂糖を補充することだった。

誰ともしゃべらなかった。

雑談というものがわからなかった。

 

たまたま同じ方向に帰る、「ハナダさん」というパートのおばさんがいて、

シフトが重なった時は一緒に帰るようになった。

出産したばかりの娘さんの話が多かった。

電車からバスに乗り換えて帰る途中、

「娘はここで出産したんよ」とハナダさんは産院を指差した。

ある日、ハナダさんと一緒にバスを降りようとした時、

知らないおばさんが近づいてきて、

そっと耳打ちをした。

「スカートが汚れてるよ」

はっとして体をひねってスカートの後ろを見ると

血が滲んでいた。

月経の二日目だか三日目だった。

スカートをぐるりと回して、

血が滲んだところを手かかばんで隠しながら家に帰った。

自分の意思とは関係なく、

毎月、月経がある。

自分の意思とは関係なく、

私は娘であらねばならなかった。

父の娘であり、母の娘であらねばならなかった。

 

サラサラの真っ白な砂糖が入っていたシュガーポットが

ある日突然、海にさらわれ、もみくちゃにされ、

砂糖は海水に溶けて、代わりに泥が詰め込まれた。

圧倒的な暴力だった。

抗えるわけがない。

抗わねばと考える時間もなかった。

それでも形はシュガーポットのままだった。

砂糖の代わりに泥が詰め込まれても

シュガーポットはシュガーポットだった。

あなたが私を見たら、

「これは何に見えますか」と尋ねたら、

たとえ泥が詰まっていても「シュガーポット」と答えるでしょう。

 

いっそ海のなかで形が変わってしまえばよかったのか。

泥を飲み込んで沈んでしまえばよかったのか。

ずっとわからずにきたけれど、

今はこれでよかったのかもしれないと思う。

相変わらず私の意思とは関係なく、

シュガーポットはシュガーポットのままだったというだけで、

そしてもう真っ白な砂糖が詰め込まれることはないけれど、

置き場所が変わっても、何が詰め込まれても、

私は私のままでいる。 


「シュガーポット」大阪弁版

 

 

 

 

自分の意志とは関係なく、私は「娘」でないとあかんかってん

ほんで自分の意志とは関係なく、いろんなものを入れられてん

そんでも、私は、シュガーポットやってん

 

サラサラの真っ白な砂糖が入ってたシュガーポット

 

自分の意志とは関係なく、ある日突然、海にさらわれてん

もみくちゃにされてな、砂糖は溶けて、代わりに泥が詰め込まれてん

もんのすごい力や

さからえるわけがない

さからおうと考える間ぁもなかった

 

せやけどな、

自分の意志とは関係なく

シュガーポットはシュガーポットやってん

 

いっそ、波に押しつぶされたらよかったんかな

泥を飲み込んで沈んでしまえばよかったんかな

 

いや、

相変わらず自分の意志とは関係なく

いろんなものが入ってくるけど、

シュガーポットはシュガーポットのままでええねんな

 

もう、真っ白な砂糖が入ることはないけど

置き場が変わっても

何が詰め込まれても

 

私は私のままやねん


祭文語り八太夫「被災物浄瑠璃」 その3 シュガーポット


「ドラム缶」

 

 

 

細い路地を右に左にと曲がった奥に家があってん。

家の前は文化(住宅)でな、昔は養鶏場やったらしい。

そこの文化のおばちゃんがな、うちの玄関脇の塀に布団干しとってな、

旦那が文句言うたことあったわ。

「おばちゃん、困るわ」って。

そしたらおばちゃん、「日当たりええねんからええやんか」て

逆に文句言うてきてんて。

自分もそこに生まれ育ったのに、

「このへんの人間はろくなやつがおらん」てよう言うてたわ。

せやのに裏の家の人が朝から鉦鳴らして

家を出たり入ったりするのがつわりの私にはしんどくて

「ちょっと言うてくる!」とつっかけ履きかけたら、

「堪忍したってくれ。法事やねん」て言うねん。

どないやねんと思たわ。

工場の脇にドラム缶が置いてあってな、

ステンレスを型抜きしたあとの屑をそこに溜めとくねん。

溜まったら屑屋さんが買うてくれるねん。

中には高く買うてくれるんがあってな、

そんな日は焼肉行くねん。

せやからドラム缶に屑が溜まっていくのが楽しみやってん。

もうみんななくなってしもた。

私があの家に住むずっと前から、

消防車も入れへん路地は危ないて区画整理の話があったらしい。

「そんなん、ずっと先の話や」て旦那は言うてたけど

二五年後に現実になったわ。

今はなんもない。

フェンスで囲ってあるだけや。

ドラム缶はどこ行ったんやろな。


 
児童文学全集

わたしに

勇気や誠実や秘密について教えてくれたのは、

親や先生じゃなくて

児童文学全集やってん。

にんじん。

若草物語。

飛ぶ教室。

白鯨。

秘密の花園。

今はもう手元にない全集に

物語をひとつ、加えよう。

少女は全集と出会ってから50年生きて、

ある日、右手が痺れて

自分で救急車を呼んた。

右半身の自由を一時的に失った彼女に

たくさんの祈り、うた、おどり、かみさまが届いた。

彼女は彼女と同じ勇敢な友だちとともによみがえり、

それぞれに新しい言葉を得た。

仲間たちとあたらしいくにをつくるために。

物語はみんなが幸せになるまで終われへんねんで。