これは、きっと、新しい神話の増殖が始まっているんだ


姜:

みなさんには、それぞれの被災物「モノ」語りを語っていただいたのですが、これから、ちょっと、振り返りをしたいと思います。

伴戸さん(ダンサー。「床板」で身体表現をした。指先で床を確かめるように、まさぐるように、なでるように、ほおずりするように)、あの体の動きにはびっくりしちゃいました。

あれは、指先からこぼれでる思いが体の動きを引っ張っていくんでしょうか? 

 

伴戸千雅子(ダンサー)

フフ、床を見て、よみがえってくるものがありまして。

 

畑章夫(スペースふうら主宰):

記憶を指でたどっていってましたね。

 

姜:

文字人間には計り知れない世界でした。

 

滝沢厚子(スペースふうら主宰):

ちゃんと受け取っているかどうか、わからないんですけど、伴戸さんの体の動きを見ながら、私の指先、手も、反応してどんどん動いていた。伴戸さんの体の声が伝わってきて、返事をしているような

 

渡部八太夫(祭文語り):

指先の凹凸感で「モノ」の存在がダイレクトに伝わってきたね。言葉を介さなくとも。まさぐったときの肌の感触、床の触感がものすごくリアル。

 

姜;

生きている体、生きている床。

 

 

姜:(「携帯」でモノ語った人の、「モノ」語りを受けて)

私も「携帯」で一つ、「モノ」語っているんですけど、なぜなんでしょうね、「携帯」を前にすると、底の底のほうの気持ちが出てくるのは。ダイレクトに声につながってくるものだからなのでしょうか。

 

八太夫:

声がやっぱり耳の残っているからなんでしょう。

 

姜:

そこに落ちている携帯は、単なる形態ではなく、そこには声が落ちている、という感覚があるのかもしれない。

 

畑:(最近、携帯を落としたばかりの人)

最初ね、「携帯」(被災物)を見たとき、僕、何も思い浮かばなかったんですよ、実は。でもね、今年の年末に携帯を一時失くしてしまったんですけど、そのときに、なんというのかな、どうやって、みんなにつがればいいのって、「切れた」感みたいなものが若干あってね、なんとややこしいものを持ってしまったんだろうという、そんな気がしましたね。その意味で、また今度は「携帯」の「モノ」語りはできそうな気もします。

 

姜:

「携帯」を語らなかった私は、自分の中でも、まだ明るい方の「モノ」語りを語ろうと思って、「ぬいぐるみ」を「モノ」語ってみたんですけど、ライラさんは同じ「ぬいぐるみ」で、いままでずっと胸に秘めて語らなかったこと、今でも本当は思い出したくない、直面したくないことを「モノ」語ったんですね。

(ライラさんは、20年ほど前に29歳で亡くなった娘さんが、子どもの頃に大事にしていたぬいぐるみのことを語った。そのぬいぐるみを娘さんは失くしてしまったのだけど、被災物の画像を見たとき、ライラさんは海を漂っていた娘さんのぬいぐるみが帰ってきたような感覚に襲われた)

そういう声を聞いてしまったら、やはり軽々しくは応答ができなくて、また新しいぬいぐるみの「モノ」語りを語ることをもって応答するほかないような気もしました。

 

さて、みなさんは、ここで語られた「モノ」語りを聞いて、どのようなことを感じられたのでしょうか?

 

 

ライラ(詩人):

伴戸さんが「床」の「モノ」語りを身体表現されたのを見ての感想なんですけど、前にアキコ・カンダというダンサーが「心の中の神に向かって踊る」とか言ってはるのを、聞いて覚えていたんですけど、もしかしたら一番最初は木とか、外にあるものに触れたりとか、触れた時の感じとかで体が反応したことがダンスにつながったかもしれないと思いましたね。

見てて、今日、ほんとに感動しました。あんなふうに感じれるなんて、すごいなぁと思って。

 

姜:

踊りを言葉というのも変だけど、踊りって、最初の祈りの言葉のような気がするんですよね。生まれたばかりの赤ん坊が、まだ何も言葉を発していない時に、体もまだ自由に動かせない時に、モノの向かって、こう、一生懸命に手を伸ばしていく、触れたい、触れたい、届きたいと、全身で向かっていく、そんな感覚。

 

桝郷春美(ライター):

最近「名づけようのない踊り」という映画を観まして、言葉はなくとも、踊りで対話できるんだと。大昔、人が言葉をまだ持たなかったとき、どうやって対話をしていたのか、ということも考えたり。

 

姜:

まず体が動いて、「あー」とか、「いー」とか声が生れて

 

深田純子(ピアノ調律師、チンドン楽師):

よくダンスが先か、音楽が先か、なんて話が出ますよね。

 

太田てじょん(ピアノ調律師、チンドン楽師)

同じ「あ」でも、いろんな「あ」があるよね。「あッ」「あ~~」、自分の思いがそこにこもると、すでに言葉になっているんよね。

 

桝郷

今日、ここに来る時に電車の中で「携帯」の「モノ」語りを書いていたときは、すらすらイケてたんです。ところが、ここで、その「モノ」語りを声に出して語りはじめた時に、この被災物の空間の中で、みなさんが見守ってくださっている感じがして、そうしたら、自分の書いた文字を、喉から出そうとするそのときに、それはまったく違うものになっていて、

 

八太夫:

それが「語る」ということなんだよ。

 

横ちゃん(精神障害者支援施設勤務、唄うたい)

だから、語るというのは、体の一部のできごとなのではないかと思うんですよ。語りと踊りは通じ合う感じがするんですよ

 

深田:

読むのと語るのは違うからね

 

八太夫:

紙の上のテキストと声は、殆どの場合、乖離してるよね。

 

伴戸(踊り手)

なんか声が身体化するというか、しゃべってはる声からまた生まれてくるという意味では、語らはることもまたダンス的でもあるんです。

 

足立すが(元小学校教師、子どものアジール主宰)

思い出すことがありまして。

大阪はいまはもうしてないと思うんですけど、昔は「くぐらせ期」と言って、「あいうえお」を書くことを教える前に、「あ」だったら、さきほど太田さんがされたみたいに、その時の感情によっていろんな「あ」があるということをまずは教えるような授業をずっとやっていたんですよ。ただ文字が書ければいいというのではなく、気持ちと文字をきちんとつなげるということをね。それは人権教育をやっていた人たちの中から出てきたものなんですけど。今は、気持ちとか関係なく、とにかく文字を覚えさせる。今日の被災物「モノ」語りワークショップみたいなことを子供の時にできたら、いいなと思いました。モノにも命があるって、ほら、子どもがよくモノを擬人化するじゃないですか、今日の「ぬいぐるみ」みたいに。さっきの「ぬいぐるみ」の「モノ」語りみたいに、声が聞こえるかね。大人はそんなわけないと思うけど、ちっちゃい子って、何か見えてるっていうじゃないですか、

 

数名一緒に:

見えてる、見えてる、

 

足立:

そういうのを大人になると、なんだか失くしちゃうけど、そういう感覚を蘇らせる場があると……。震災みたいな、命と向き合わなければならないすごい体験をしたときに、またそこに立ち返って、体のすべてで向き合っていくというような、気持ちを声に込めていくような、そういうことがとても大事で、それを子供の時にしっかりやっていることがなお大事なことのように思ったんです。生きていくうえで。それがいまは、文字と心がばらばらばらのままに文字も教えられて……。その意味でも、「モノ」の声を聞く、というのは本当に大事やなと、今日あらためて思いました。

あのね、ゴミがいまはすごく沢山出る時代だけど、ゴミじゃない「モノ」の声を聞くということがね、……、実は私いま家のリフォーム中で、すごく沢山のごみ袋が出るんです、物の整理をしていたら、母と私と息子のへその緒が出てきたりしてね。まだまだ処分しなくちゃいけないのに、今日、ここで被災物の「モノ」語りを聞いたら、捨てられなくなったわ、困りました。

 

深田・太田(大阪出身の二人):

くぐらせき? どういう字、書くの? うちら子供の時、あったんかな。

 

足立:

くぐらせ期。 だから、文字にたどりつくまでに、その文字にまつわるいろんな感情をくぐらせていくんですよ。昔は給食だって、学校に慣れるまでは、ということで1か月くらいはなかった。そういう、人間がなにかになじんでいく時間、感情を確かめる時間というのが、教育から消えていったんですね。今は、はやく、はやく、早くいろんなものを、とね。

 

姜:

くぐらせ期……。ヘレン・ケラーみたいに、手に触れるものが「水」とわかって、「わーらー(water)」と叫ぶような経験を積み重ねていくわけですね。

言葉と声とさまざまなモノ、さまざまな経験が結びついていく。

 

リアス・アーク美術館でこういう「被災物」展示のような試みをしたのも、私が思うに、「復興」とみんな簡単に言うけど、「復興」って実のところ何ですか? というのもありますし、 「絆」という言葉も流行ってみんな口にしていたけど、「絆」って何? というのもあるし、 「記憶を語る」というけど、ほんとに、みんな、自分の記憶を語っているの? というのもあるし、そういう問いかけが根っこのところにあるんじゃないかと。

自分の言葉で、自分の声を上げていくというのが、実は記憶を語るうえでの出発点であり、そうやって語られた記憶が増殖し、互いにつながっていくことで、それこそが貴重な記録になっていくように思うんですね。

たぶん、ここに来て、「被災物」に囲まれて、思わず「モノ」語りしてしまうのも、いままで、こんなことは語るもんじゃないよね、語れないよね、と今の社会のコード、人とのつながり方のコードの中で封じ込めていたものを、いや、語ってもいいんだよ、語るべきだよ、自分の声で、自分の物語を語らなくちゃ、と、そういう何か、背中を押すものが、この「被災物」空間にはあるんじゃないかなと思ったりもします。

 

岡本(「被災物」を前にして、アフリカの日々を想い起して、「モノ」語りが止まらなくなった人):

僕は去年の秋にこのワークショップに初めて参加したんですけれども、被災物を見るうちに、何か感じることを言葉にしたいという気持ちになったのを覚えています。僕は十年くらい前まで、日本とアフリカを行き来する生活をしていましたが、いろいろ事情があって、それをやめてしまい、アフリカのことを自分の中にずっとしまっていた十年間といえます。で、被災物の「漁船」を見たら、アフリカのことを思い出し、何かこみあげてくるものがあったんですね。「漁船」が最初に「モノ」語りとして出てきたものですが、そのあとも胸に、こう、どんどん湧きおこってくるものがありまして、ほんとに立てつづけに、毎週毎週、書かなくちゃ、書きたいという気持ちになりました。けっこう長いものも書いて姜さんに送ったんですね。今日も最初にそんな話がありましたが、「記憶のケア」なんだと思います。書くこと、語ることによって、解き放たれて、胸がスッとなる、そういう気持ちで、今日も「漁船」の「モノ」語りを読ませていただきました。

 

姜:

「戦士フィギュア」は、いま、その4まで来ていますね。

 

岡本:

まだ続きます。

 

八太夫:

岡本さんが、初めて、今日の「漁船」を「モノ」語るのを聞いたときに、その瞬間に、アフリカの「ロジ」の風景が浮かんで、声が聞こえてくるのに、びっくりしちゃったのね。

Haiba mezi amagata, Litapi ziba zengata」(ハイバ メズィ アマガタ、リタピ ズィバ ゼンガタ)

 

岡本:

Haiba mezi amagata, Litapi ziba zengata」(ハイバ メズィ アマガタ、リタピ ズィバ ゼンガタ)。そしてルンゴンゴウェの大洪水の話。ザンビアのザンベジ川の氾濫原にロジという民族がおりまして、彼らの洪水観を示しています。

 

ライラ:

私、すごい長いこと、不登校の子に関わることをやってきたんですけどね、しゃべらない子が今もいるんですけど、すごい大きな音で、ガンって、壁に体をぶつけるんです。その音聞いてて、あ、これがこの子の声なんやと。表現をしたいけど、言葉を出しにくい子が、いろんな形で気持ちを表してくる。私、今年、74になるんですけど、舌がよく回らなくなってきて、筋肉が弱ってくるからと思うんですけど、前は人前で1時間、2時間、講演とかで話す機会もあったんですけど、今は一時間もしゃべったら、舌がよう動かんようになってくるんですよ。これって、言葉を失うのではなく、だんだん中に入っていくんだなという感じがするんです。だから、年いった人がいっぱいしゃべらなくとも、いろんなこと思ってはるかもしれへんな、と思ったり。だから、表現されない言葉というのは、すごい面白いものがある可能性がある、とは思ってるんです。

 

岡本:

僕は普段仕事で知的障害のある人たちと関わっています。話が理解できたり、話せたりする人もなかにはいますが、言葉を発しない人たちもけっこういます。その人たちとどうやってコミュニケーションをとるのか、それが課題になりますが、言葉はしゃべらなくても、音やリズムで体を動かすのが好きな人はいて、さっきダンスの話があったように、体の動きでコミュニケーションをとることもできるわけです。

 

伴戸:

私も、もう10年くらいになりますけど、知的障害のある人のダンスのワークショップというのをやっていて、その動きというか、何と言ったらいいのか、ある人はそれを症状として見るけれど、私にしたら面白い動きとか、面白い反応みたいに感じて、ダンスワークショップをやっていると、なんか喋れた、喋っている気分にはなるんです。向こうがどう思っているかは、わからないんですけど。でも、ずっと続けてやれているというのは、喋れているのとちゃうかな、と思いながら、真似っこしたり、一緒に動くのが面白いんです。

 

岡本:

さっき、「復興」とは何だろうという問いかけがありましたけど、障害を持っている人たちの目指すところって何なのだろうというところにもつながってくると思っています。どうしても健常者目線になってしまい、言葉を覚えてもらって、みんなと同じような生活をしてほしい、できれば仕事もしてほしいと思いがちなんだけど、それぞれ違った生き方があるはずなんだと強く思います。

 

八太夫:

僕は教員だったんだけど、やはり障害児教育にも関わっていて、いちばんおかしいと思ったのは、結局、社会性を身につけさせる、と言うんですよね。結局のところ、それは違うよ、と思って。逆だと思うんですよね。その子が生きられる社会にしろよって。逆なんですよ、やってることが。悲しいかな、教育の現場にいたときには、その枠の中で仕事をしてしまったんですが……。離れれば離れるほど、学校というのは、個性を潰して、特に障害のある子供には生きがたい世界だなというのが、ほんとうに、逆に、今になってつくづくと思うんです。

 

横ちゃん:

僕も実は精神科の仕事をしていて、西洋では治療ではなく本人のrecoveryを支援すると言いますが、英語を日本語にするのもなかなか難しくて、日本語で「回復」というのとはちょっと違うし、さっき震災からの「復興」という言葉もあったけど、それがどういう意味かよくわからないけれど、仮に地震の前に戻ること「だとしても、精神障害は発病の前に戻ることはできないし、戻るんじゃないんです。障害を受けいれるのか、治療するのか、そこから主体性を回復するのか、まあ、どう言ったらいいか、わからないんですけど、でも、今日の「被災物」展示を見てて、拾われることで、展示されることで、光が当たっているのか、何て言ったらいいのか……、「呼び鈴」とか「携帯電話」とか、仮に「携帯電話」と言ってるけど、実はもう携帯電話じゃないでしょ、もう話せないんだから、「呼び鈴」と言っても、もう「呼び鈴」の機能は果たせない。「電柱」と言っても、電柱の用途は果たせない、だからこそ、何か、逆に復活している、そんな気がするんですね。あのね、この被災物なんか「ドアノブ」と書いてあるけど、もうドアノブじゃないんですよね、ドアがないからもう。ドアを開くことができない。でも、ドアに埋もれないドアノブとして、今ここにある。

 

八太夫:

仮にそれを使えるようにしたら、復興なんでしょうかね。

 

横ちゃん:

被災物で展示されているモノたちというのは、「純粋道具」「純粋存在」というんですか、「タイル」もふだんはタイル単体ではなくお風呂やトイレになってしまうんだけど、それを「被災物」を見てて思ったりしたんだけど。さっきの精神障害の話でも、ほんとは切り捨ててはいけないもののように思われて。

 

八太夫:

障害と言えば、ここに並んでいる被災物も、言葉は悪いけど、みんな障害を負っているわけでしょ。

この被災物のキャプションに僕は、やはり、なんだか、カミを感じるわけですよ。なんで自分がそんなふうに反応するのか、よくわからないんだけど、やっぱり、ここにある被災物たちはカミだなと。で、リアス・アークの館長さんが書いている「モノ」語りは、ある意味で「神話」に聞こえるわけですよ。

 

姜:

そうそう。初めてリアス・アーク美術館に行ったときに、家に帰ってきて、「すごいもの、観てきた」と話したんです。そして、ここにも置いてありますけど、美術館の図録を開いて、被災物の写真とキャプションを見せたら、この祭文語りのおじさん(八太夫八太夫)が、「これは語りだと」。この「語り」というのは、祭文や説経や瞽女唄や奥浄瑠璃のような遊芸の民の「語り」を言っているわけなんですが、八太夫のその言葉を聞いて、ああ、そうなんだなと腑に落ちて。前近代では、前近代という言葉遣い、すごくいやだな……、こういう効率優先、生産性第一の社会になる前には、声と文字と語りはしっかり結びついていて、さっき足立さんがおっしゃっていたみたいなくぐらせ期をわざわざすることもなくね。人々が何か記憶を語り伝えようとするときに、文字を知らない人が多い村でも、「語り」の形式で語りつがれてきたさまざまな物語に自分の記憶をのせていく、溶け込ませるということを、人々がやっていく。「語り」の形式そのものは、文字によって支えられる部分も大きいのですが、その形式で声に出して語られる「語り物」を個々の記憶のメディアとして大いに使ってきたんですね。そして、そもそも、遥か昔より遊芸の徒が運んだそういう「語り」の源にはカミがいる。カミを語るために、人間は、「語り」というものを立ち上げた。大きな神に限らず、むしろ、それぞれの土地の、路傍に立つ道祖神のような小さきカミや、カミ宿るものとして置かれている石のような、そういう無数の名もなきカミたちの「語り」を、人間は無数に生み出してきたわけです。それぞれの名もなきカミに謂れがあり、そこに生きる者たちの記憶のよすが、あるいは、語り伝えるべき風土と人の記憶の道標として、石やら、木やら、路傍のカミのようなモノたちがいる。それと同じようにして、「ぬいぐるみ」「洗濯機」「カメラ」「携帯」……、この被災物たちは、いま、ここにいる、リアス・アーク美術館にいる。「モノのカミ」。そこにキャプションがつけば、小さな「神話」ですね。

 

横ちゃん:

モノノケのモノですね。

 

姜:

私たちの頭が近代的なものでいっぱいになる前には、モノたちはカミとしても私たちのもとにあったわけですね。この「被災物」たちが、四百年前、二百年前に、人々の中にあったとしたら、遠野物語のように、人々は「被災物」の「語り」が紡ぎ出して、語りついで、一個の「モノ」語り集、あるいは、小さな「神話」集を後世に伝えたかもしれない。そういうものを、リアス・アーク美術館は、時空を超えて、近代を突き抜けて、私たちに差し出してくれた、いま、ここで被災物に囲まれている私たちは、きっとカミたちに囲まれているんだろうなぁと思うんですね。そしたら、私たちもまた、そのカミたちの物語に、自分の記憶をのせて、カミの物語をどんどん増殖させていく、そうやって近代世界にポッと現われた小さな神話集に自身の声と体で関われているんだなろうな、と。神話、というのは、はじまりを開くものだから。被災物を通して、私たちもまた、生きてゆく中で封じていた記憶を解き放つことで、無意識のうちにはじまりの場に立とうとしているのかもしれないですね。

 

しかし、岡本さんなんて、どれだけ、神話を増殖させたことか!

 

足立:

昔はなんでも百年経ったら神になるって、九十九神って言ったでしょう。そう言って、私くらいの世代までは、じいちゃんばあちゃんに物を大事にしないと叱られたしねぇ。それはモノノケである同時にカミであって、やっぱり、人形なんてね、ゴミとして捨てれないし、どっかで焚き上げてもらうとか。アルバムなんかもそうですけど。息子たちは簡単に捨てたらいいと言うんだけど。モノを大事にというのは、昔からあったのに、忘れてたなぁ、とあらためて思いました。あお、最近、広島の被爆者の持ち物だったものを石内都さんが写真に撮ったのを見たときに思ったことがあるんですけど、修学旅行で広島に行くと語り部の方がいて語ってくれるわけだけれども、語り部の方が年を取っていらっしゃらなくなったら、映像では残ると言われてもリアルに生身の声で聴くことができなくなるのは危機的やなと思ってたんですけど、石内都さんの写真とか、今日の「被災物」とか見てしまうと、モノが残っているというのとてもリアルで、人は亡くなるけどモノはあるとしたら、そこから感じ取れるのは、聞く耳さえ、感性さえあれば、ダイレクトに受け取ることができるから、語り部の人の話を聞いて「ああ、そうなんや」で終わるんじゃなくて、今日のような展示を観ると、子どもたちは絶対に自分たちと重ねるので、自分の今の思いとね、そこからまた自分の生き方みたいのに思いを馳せるから、「モノ」語りというのは、「モノ」にこういうふうに向き合うというのは、すごいなと思って、リアス・アーク美術館に観に行きたいと思いました。すごいですよね、「被災物」にお金をかけて展示したというのは。

 

姜:

いや、それが、すごい逆説で、リアス・アーク美術館というのはバブルの時期に箱モノとして作られて、バブル弾けたあとには予算もつかなくて、収蔵品がまったくない美術館だったというんです。収蔵品がないから、むしろ、ありきたりの展示ではなく、これまでにはない発想で、東日本大震災の記録としての常設展示をし、被災物を収集してきて、記録と記憶を問い直すというような挑発的な試みをし、というようなことをやっているねすね。で、もっとすごいのは、こういう被災物って展示しておいても、やっぱりだんだん風化していくでしょう。で、「風化したら、どうするんですか?」という問いに、館長さんが「また地震と津波は来ますから」と。

 

全員:

うわあ、すごい!

 

畑:

僕ね、展示の資料として置いてあるリアス・アーク美術館の本を見てたら、ほんと、30年から50年に一度、津波って、来てるのね。つまり、暮らしとともに津波があるのね。30数年といったら、一生に2回は経験しますね。そういう意味で、東北の、リアス式海岸のあたりの暮らしというのは津波とともにあるのね、それ考えたら大阪は台風とともにあったじゃないですか。ああ、そうかと思いましたね。同時にね、リアス式の海というのは、湾の外にがくんと海が深くなってて、海の恵みが豊かだと、そういうことも書かれているんですよ。海と山もつながっていて、海の幸、山の幸があり、恵みを得て暮らしている、そしてその暮らしのなかに津波がある、そういう暮らしを積み重ねた歴史なんだ、ということをあらためて思いました。びっくりしました。

 

姜:

もう、はっきりと、津波も文化的事象なのだと、リアス・アーク美術館では言い切っていますね。

 

畑:

大阪やったら、僕の人生では、室戸台風、第二室戸台風とかね、そういう一人の人生の記憶とかもあるじゃないですか。

 

足立:

でも、原発事故なんてのは、初めてのことですね。

 

全員:そうそう……

 

姜:

原発事故なんかを暮らしの中の文化として織りこんだ「復興」なんて、いやですね。

 

岡本:

津波が三陸の暮らしの中に織り込み済みだというのは、アフリカの人たちともつながりますね。津波ではなく、氾濫原なので洪水になりますが、ルンゴンゴウェの大洪水というのが百年に一度起こると言われているんですね。ちょっと神話的ですが、それがちゃんと伝承されています。現実には、何年かに一度、ルンゴンゴウェの大洪水ほどではないですけど、比較的規模の大きい洪水が起きています。すると、トウモロコシとかの畑がやられてしまいまい、主食が失われるんですね。そうなったら彼らはあわてることなく農業から漁撈にシフトして、魚をいっぱい獲って、遠隔地に持っていって物々交換して、主食を得ています。暮らしの中に洪水が織りこまれているんですね。「Haiba mezi amagata, Litapi ziba zengata」(ハイバ メズィ アマガタ、リタピ ズィバ ゼンガタ)ってのはそのことを示しています。洪水が大きいときは魚がたくさん獲れるんだよ、だから心配するなって。

 

畑:

近代なんていうのは百年くらいしかなくて、そのまえに積み重ねられてきた東北の歴史を思うと、なんかすごいものがあったんだよなぁと、関西のこのぬくい暮らしとはまた別のね、積み重ねた暮らしの時間が東北にはあるんだろうなと、あらためて思いました。

 

岡本:

東北なら、冷害とか飢饉もしばしばあったでしょうしね。

 

姜:

いま、東北の沿岸部の被災地に行くとね、津波を防ぐということで巨大防潮堤が作られているじゃないですか。陸と海を形式上断ち切って、海を視界から消す防潮堤。海とともに生きている漁師たちからしてみれば、海の見えない海辺で、海と共に生きるという、大いに理不尽な状況に置かれるわけです。海が見えないというなら、穴をあけましょうと、防潮堤に四角い小窓みたいな穴を開けたりして。

 

畑:

関西から遠くて、なかなか歴史の積み重ねの実感というのがつかめないんですけどね。

 

 

 

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【ワークショップ&交流会】 文責 ふらん

 

 

最初にピヨピヨ団の7名が、ワークショップのオリエンテーションを兼ねて、被災物「モノ」語りの増殖を試みたのでした。

 

     「携帯」 深田純子 歌う

     「トランペット」 太田てじょん 語る

     「シュガーポット」 社納洋子に代わり、八太夫 歌う

     「郵便受け」 畑章夫 語る

     「ぬいぐるみ」 姜信子 語る

     「タイル片」 滝沢厚子 語る

     「漁船」   岡本マサヒロ 語る

 

休憩後 一般参加者が「モノ」語りを増殖させます。

 

     「床板」 伴戸千雅子さん 身体表現

     「ぬいぐるみ」 ライラさん 語る

     「携帯」    桝郷春美さん 語る

     被災物展示を観て  横ちゃん 語る

 

 

の「モノ」語りについては、その場を共有した者だけが分かち合う記憶の物語として語られました。

 

「ぬいぐるみ」は29歳で亡くなった娘さんのことを語ったものでした。それは語るにはあまりにも悲しいい、痛い記憶で、亡くなってからずっとまっすぐに向き合うことをしたくなかった、実はこの日も、無意識のうちに向き合うのを避けたのか、何度かいたことのあるスペースふうらに道に迷って来れない、という不思議なことを経験しつつ、ワークショップに現れ、ふっと封印が切れてしまったかのように、娘さんが幼い頃に大事にしていたぬいぐるみの話を話し始めたのでした。被災物の「ぬいぐるみ」を見たとき、ライラさんは、娘さんが失くしてしまったぬいぐるみが、長い漂流を経て戻ってきたような心持になったと語りました。二度と会えないと思っていた娘さんのぬいぐるみに再会したような心持に。

 

「携帯」は、つい最近乳がんの告知を受けた桝郷さんが、そのことを母親に伝えたらすぐに、今まで携帯を持とうとしなかった母親がすぐに携帯を買って、携帯から連絡してきた、という、母の気持ちと娘の気持ちとが切なく重なり合って、もしもしと呼び交わす声が聞こえてくるような「語り」でした。

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ワークショップのあとの、スペースふうらには、「モノ」語りとともに解き放たれた思いが漂っているようでした。その思いと声を行き交わすようにして、61の「被災物」たちがさざめいているようでした。

 

津波にさらわれて、波にもまれて、ふたたび地上に戻ってきた、この「被災物」たちは、遥かな昔、五体満足ではないことを理由に葦舟に載せられて海に流され、カミとなって葦原に還ってきた蛭子を想い起こさせます。

蛭子、恵比寿、戎、夷、ゑびす、たくさんのえべっすさんたちが、この空間でさざめいている。

誰の役にも立たない、何の役にも立たない、でも、そのことが、すべての命への恵みとなるモノたちが、さざめいている。

津波に流された世界に、ささやかに、ひそやかに、生きなおしの神話の「場」を開くさざめきがある。

さざめきに触れて、震えた者たちが、「モノ」語りをますます増殖させます、

人間を何かの大義のために死に追いやるような大きな「神話」ではなく、

命を増殖させる、私たちの小さな小さな「神話」がざわめきはじめます、

 

ある日、(2022221日のことでしたが)、そのざわめきに包まれたスペースふうらに、ひとりの蛭子が出現して、ぶるぶると身を震わせながら立ち上がり、一つ一つの「被災物/蛭子」と声を交わしながら、ゆっくりと歩きながら、舞いながら、前を向いてじりじりと進んでいって、やがて扉を開け放って、これから生きるべき世界へと一歩、また一歩と足を踏み出した、そのときのことは、またあらためて、「モノ」語ってみようと思います。